安倍元総理の襲撃事件や旧統一教会と政治の問題、そして毎日のように報道される悲しい事件やニュースを目にすると、胸が痛みます。
若い頃、私は初めての育児に追われ、ニュースや世間の出来事にはほとんど関心を持てませんでした。
日々の生活に精一杯で、「悩む暇もない」と言ったほうが正しいかもしれません。
子供に関する事件には心を痛めても、「自分が何かできるわけでもない」と半ばあきらめるような気持ちもありました。とにかく、暮らしていくだけで手一杯。そんな毎日は、ある意味「井の中の蛙」状態だったのかもしれません。
親に頼れず、家族にも、友人にも頼らず、「助けてくれる人はいない」と信じていた私にとって、生きるとは”闘い”でした。
私は子供の頃から、「この子の親があんな人だから」と、自分ではなく”背景”で判断されることに傷ついてきました。だからこそ、他人に嫌われないように”いい子”でいることが、自分を守る手段でした。
泣き言を言わない、甘えない、他人に期待しない。そんな風に大人になった私は、物事を冷静に見る癖がついていました。
必要なものは自分で作る。欲しいものは自分で買う。他人との距離を保ち、深入りしない。
私は人間関係の”損得”を肌で感じながら、そっと距離を取るようになりました。人の噂話に興味がなく、他人の生活を覗き見るような気持ちもありません。
そんな私ですが、気づけば、学校でも職場でも、自然と人の相談に乗る役目を担っていました。
きっと、私の中の「強さ」や「冷静さ」が、誰かにとっての支えになっていたのでしょう。
そして、占いに出会いました。
私は子供の頃から、「自分はなぜ生きているのか」とと考えるども子でした。自分のことが知りたくて仕方がなかった。そんな私にとって、占いはとても分かりやすい”道具”でした。
占いを通じて自分を知ることで、「こんな時は、私はこう考える」「こういう時は感情的になりやすいからきをつけよう」と、自分の心の癖や行動パターンが見えてきました。
だから私は、占いは「当たる・当たらない」という話ではなく、「自分の見えない部分や気づかない思いを導き出してく入れるもの」だと思っています。
誰もが、自分の事を知り、受け止め。よりよく生きようとする道具賭して、占いを使える時代にならばいい。私はそう願っています。
「自分を大切に生きる。そのために占いがある」